13代藩主毛利敬親の侍医を務めた幕末の蘭学医、青木周弼が生まれ育った家。 青木周弼は、享和3(1803)年、周防大島郡の医師青木玄棟の長男として生まれ、萩藩医能美洞庵に入門し、漢方医学を学んだ後、大阪に遊学して蘭学を修めた。 さらに、江戸で蘭医学を学び、一時長崎にも遊学した。 天保9年(1838)に藩医となり、藩の医学館(好生堂)の設立に尽力し、蘭学教授となり多くの弟子を教育すると共に西洋兵学を紹介した。 幼少の頃の高杉晋作の天然痘治療にあたり、一命をとりとめたというエピソードが残っている。
日本屈指の医師でもあり、全国各地から集まった多くの弟子を育てた。 来客用と家人用の座敷に分けられた母屋が、当時の青木家の事情を物語っている。 安政6年(1859)に建てられたものであるが、あまり改造されておらず当時の様子をよく残しており、立派な門や忍び返しなどに、藩医の住まいらしい趣が感じられる。 ここにはガイドが常駐し、施設の説明を行っている。 |