玉木文之進は、吉田松陰の父杉百合之助の末弟で吉田松陰の叔父にあたり、文化7年(1810)萩藩士杉七兵衛の三男として生まれた。 11歳の時に杉家を出て玉木家を継いだ。 生来学識に優れ、天保13年(1842)、付近の児童を集めて教授し“松下村塾”と名付けた。 この塾の名は後に久保五郎左衛門が継ぎ、安政2年(1855)には松陰が継承して名を天下にあげるに至ったことから、この旧宅は松下村塾発祥の地といえる。
建物は木造茅葺き平屋建てで、8畳の座敷のほか4畳の畳部屋、3畳半の玄関・4畳半の板間と土間の台所があり、別に湯殿・便所がある。 旧宅前に「松下村塾発祥之所」と刻んだ石碑が立っている。
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