小川家は萩藩の大組士(500石)で、藩政末期の当主小川厚狭佐は慶応元年(1865)から明治元年(1868)までの3年間萩町奉行を勤めた。 この長屋門は同家の表門で、入母屋造り、桟瓦葺き平屋建て、桁行27.39m、梁間6mのかなり長い建物である。 門構えはほぼ中央付近に幅二間の通路があり、正面から1.5m入った所に冠木を架け、入口は袖壁付きの観音開きになっている。 内部は通路の南側に8室と濡れ縁があり、北側には土間をはさんで6室がある。 道路に面した西側には5か所の出格子窓があり、腰部は下見板張りとし、上部は外大壁である。 屋根および妻部分は南端は雄大な入母屋造りで、北端は後に改造した跡がある。 萩市指定有形文化財になっている。 |