菊屋横丁の菊屋家住宅の隣接地の小さな一角に「田中義一閣下誕生地」の石碑が建っている。 田中義一は明治から昭和にかけて活躍した軍人、政治家である。 藩主の御六尺(駕篭かき)の田中家の三男として萩の呉服町に生まれた。 13歳の時新堀小学校の授業生(代用教員)に登用され、萩の乱にも参加し、後に陸大に進学した。 大正7(1918)年以降、陸軍大臣、次いで大将に進み、再び陸軍大臣になった。 大正14(1925)年政友会総裁に就任し、昭和2(1927)年には内閣総理大臣となり、外務大臣、拓務大臣を兼任した。 |